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喫茶ま・ろんど

TSFというやや特殊なジャンルのお話を書くのを主目的としたブログです。18禁ですのでご注意を。物語は全てフィクションですが、ノンフィクションだったら良いなぁと常に考えております。転載その他の二次利用を希望する方は、メールにてご相談ください。

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(一般創作)図々しい頼み事

 頭を冷やそうと考え、シャワーをいつもより長めに浴びたが無駄だった。それだけ苛立っているということだろう。
「ああ、ちくしょう」
 夜中ではあるが、遠慮をせずに声を上げる。バスタオルを頭に巻き付けると、少しばかり乱暴に髪を引っ掻き回した。同じタオルで申し訳程度に体の水気を拭き取り、腰に巻き付けながら、どうにもドライヤーを掛ける気になれずに風呂場から出たところで、テーブルに置いてある携帯のランプが点滅していることに気が付いた。
 確認すると、着信が八件も入っていた。長めのシャワーと言っても二十分も入ってはいない。その短時間でこれだけの着信があるとは何事だろう。慌てて履歴を確認したところで顔をしかめた。
 先ほどあれだけの大喧嘩をした上で、
「ぶっ殺されたくなければ二度と俺の前に顔を見せるな」
 なんて啖呵を切っておいて自分から電話を掛けてくるとは一体どういう了見だ。
 まさか謝罪の電話なんて腹づもりでもないだろう。そういう殊勝な性格の奴じゃあないし、そもそもこっちだってこの通り、まだ気が治まっていないのだ。今の状態で謝られても耳を傾ける気すら起きない。
 そんな俺の性格を知らない筈はないと思うのだが。
 などと悩んでいるところに再び着信が入った。
 全く本当に何だというのか。
 いっそ無視しようかとも思ったが、この後も延々と電話が鳴り続ける可能性を考えるとそうもいかないだろう。
 電源を切っておけば静かになるだろうが、それこそ別のどこかから重要な連絡が来ても困る。
 ならば仕方がない。気は乗らないが、とっとと電話を受けて話を済ませてしまおう。
「何回もうるさいな。なんだよ」
 けん制も兼ねて、必要以上に不機嫌さを前面に押し出してみながら、先に服を着るべきだったなと思った。
「ああ、ああ。良かった。やっと出てくれた。なあ、おい、助けてくれよ。困ってるんだ。頼む。お前しか頼れないんだよ」
 一瞬別人かと思った程にその声はか細かった。
 震える声からは不安に包まれている様子がにじみ出ている。恐怖だとか嘆きだとか、そういう類いの声だ。
「なんだよ」
 自分自身も釣られて、先ほどの「なんだよ」よりも随分と弱々しくなってしまった。
「困ったことになったんだ。こんなことを頼むべきじゃないっていうのは分かっているんだけど、でももうどうしようもないんだ。頼む。助けてくれよ」
「落ち着けよ、順番に話せ」
 言ってから、なんで話を聞いてやらなければならないのかと気付いた。
 だから、
「ああ、いや」
 と言い、少し考えてから、
「ふざけんな、馬鹿野郎」
 と言って電話を切った。
 頼みを聞く筋合いなどないのだ。
 何せ、あいつの言葉通りなら、次に会ったら私はぶっ殺されてしまうのだから、自身の安全のためにも話を聞くわけにはいかないだろう。
 そう、少しばかり意地の悪い風に自分に言い聞かせ、洗面所に戻る。
 直後にまたも着信音が鳴ったが、それは無視した。
 そうして、改めて時間を稼ぐためにドライヤーをゆっくりと、時間を掛けて髪に当て、完全に乾いたことを確認してから、ヘアワックスを手に取った。
 しかし、指ですくったところで、今日はもう外に出る予定もないのだと気付き、少しばかりもったいないが、そのまま蛇口を捻って水で流した。
 水で落ち切らなかったワックスを、腰に巻き付けたバスタオルで丁寧に拭うと、洗濯機の中へと放り込む。
 そろそろ洗濯しないとまずいな、なんてことを考えながら、改めて洗面所を出ると、呆れたことにまたも携帯の着信音が鳴り響いていた。
 見るまでもないだろうと思いながらも念のために確認をしてみると、案の定、予想通りの名前がそこに出ていた。
 それを無視してタンスから下着を取り出し、着替えを進める。風邪を引かないだろう程度の格好になるまでに、なんと、三度も着信が増えていた。
 全くこれではらちが明かない。
 そう考え、覚悟を決めて再び電話を取った。
 いいかげんにしろ、と怒鳴りつけてやろうと思ったが、それよりも向こうの言葉の方が早かった。
「人を、殺しちまったんだよ」
 ぎょ、として言葉が出なくなった。
 驚きに電話を切ることを忘れた。その隙に向こうがまくしたてる。
「もうどうしたらいいか分からないんだよ。頼むよ、助けてくれよ。なあ、頼むよ、なあ」
 電話越しだというのにまるで裾を掴まれ追い縋られているような錯覚を起こす。それほどまでに鬼気迫る、切実な「頼み」だ。
 こいつは、こんな演技のできるような男じゃあない。となると、本当のこと、と考えるべきなのだろう。
「分かった、よ」
 と、勢いに流され言ってしまってから後悔した。結局こうして良いように振り回されてしまう自分が全く情けない。
 そうやって振り返ってみると、それ自体がこいつの狙いだったのではないかと思えてくる。
 つまり、人を殺したなどというとんでもない嘘をつくことでこちらを驚かせ、虚を突いて都合のいいように立ちまわろうとしているのではないかということだ。
 よくよく考えてみれば、無茶苦茶なことばかりだ。喧嘩をした相手にそんな電話を掛けてきて。
 そもそも、俺に対して何を求めているというのか。
「頼む、って言われても、何を頼みたいんだ。まさか、その殺した奴を生き返らせろ、とか言うんじゃないだろうな。それなら救急車でも呼べよ」
 なるたけ突き放すように言い放った。無論そんなことを考えている筈がないことは分かっている。あくまでも、俺が許していない、信じていないというスタンスを示すための言い回しだ。
「もう、救急車を呼んでも無駄だよ。それは分かってるんだ」
 弱々しい声の呟きに、いっそう苛立ちを覚える。
「じゃあ、どうしたいんだよ」
 ぶっきらぼうに投げかけると、しばらくの間を置いてから、おずおずとした、注意していないと聞き逃してしまいそうなか細い声が電話の向こうから届いた。
「捕まりたくない」
 人を殺しておいて、捕まりたくない。それだけでも相当に図々しいというのに、そのために頼みこむ相手が大喧嘩したばかりの相手という。全くこれほどに図々しい話が他にあるだろうか。
「俺の頭じゃあ、どうしたらいいか分からないんだよ」
「俺だって分からねえよ」
 と、至極当然な言葉を吐く。が、そんな俺の言葉を向こうは全く聞いていないようだ。
「自分でも都合のいい話だとは思うよ。でも、さ。分かってくれよ。俺より頭の良いお前なら、何か良い方法が浮かぶんじゃないかと思ってるんだよ。なあ」
 頭が良い、なんてのはそれこそとんでもない勘違いだ。確かに普段、「昔は勉強ができた」なんてことを酒の席で口にすることはあったが、胸を張って声高に主張できるような立派な成績だったわけでもない。
 そもそも、今は大したことがないからこその「昔は勉強ができた」なのだ。
 それともあれだろうか。これもまた酒の席で何度か言ったことのある話だ。「推理小説が大好きだから、下手な奴よりも人の殺し方については詳しい自信がある」と。
 もっと突っ込んで、「完全犯罪を考える自信がある」なんてことまで言ったこともあるかもしれない。
 ああ、それを真に受けた、というのならこの電話も納得がいくかもしれない。
 かもしれない、が、そんなことを真に受けるという点から、こいつの頭の程度……というよりも、現状の錯乱具合が伝わってくる。
「共犯者になれっていうのか」
 ぐるぐると色々なことを考えながら、俺の口から出た言葉はそれだった。
 死体遺棄。それが何を意味するかなんて、考えるまでもない。そして、こいつに付き合ってそんな危険を冒すメリットなんて何一つありはしないし、付き合うだけの義理も全くありはしないのだ。
 俺の沈黙から、そんな思考を感じ取ったのか、それまでと違う、全く分かりやすいストレートな言葉が電話の向こうから聞こえてくる。
「……金は払うよ。……二百万ぐらいなら出せる」
 何よりもまず、ぎょ、とした。
 そこまで必死なのか、と考えるよりもむしろ、一体こいつは何を考えているんだ、という考えの方が強くよぎる。
「へぇ」
 と返事を返したのは、金に心が動いたからではない。何かしら反応を示さないと、またとんでもないことを言いだすのではないかと思ったからだ。
 しかし、二百万という額に心が動いたこともまた事実だ。数字だけを聞けば、その額は非常に魅力的な響きを持っている。
 が、それが果たして殺人者の共犯として死体遺棄の罪に問われる危険と天秤に掛ける価値がある額か、と言われるとやはり難しい。
 ならば断るべきか、というと、それはそれでまた、いつまでもしつこく電話を掛けて頼みこんでくるだけだろう。
 なんとか断る口実か、もしくはこいつの口車に乗った上で安全に金を受け取れるような方法でもないだろうか。
 そう悩んでいるところで、不意に妙案が浮かんだ。
「……迫真の演技だな。俺としたことが、一瞬本気にしちまったよ」
「何言ってるんだよ」
「本当に人を殺したのかと思ったよ。全く」
「だから本当だって言って」
「でも、まあ、たまには面白いかもな。仮に。仮にだが、本当に人を殺してしまったとしたら、どうすれば完全犯罪を成し遂げられるか。なんて。学生時分には推理小説を読んだ勢いでよく語ったもんだ。久しぶりに考えてみるのも悪くないかもな」
 この言い方でピンと来ないようならもう切り捨てよう。何と言ってこようとも断るんだ。こちらは危険な橋を渡るつもりはないのだから。
「……あ、ああ。そうだな、うん。そうなんだよ。ははは」
 かなり動揺している様子が感じ取れるがどうやら察したらしい。
 そうだ。俺は、お前の作り話に付き合っているのだ。例え本当に人を殺していたのだとしても、俺は知らない。気が付かなかったのだ。
 もしも最終的にこいつのやったことが警察にばれ、逮捕され、その末に俺の元に警察がやってきたとしても、まさか本当だとは思わなかった、と主張するための布石という奴だ。
 と言っても、この会話を録音でもされていない限りは、どうとでも言い逃れができるだろうが。
 逆に言えば、もしかしたらこの会話が録音されていて、何か俺を貶めるための道具として使われてしまうのではないか、という疑いが拭いきれないのだ。
 何せ、あれだけの大喧嘩の後でのこの状況だ。例えどれほどの危機的状況だと言っても、俺を頼ってくるというのはどうにも不自然なように思えて仕方がない。
 まあ、普段のこいつの様子を考えれば、そこまで深いことまで考えられるような奴ではないから、俺の考え過ぎなのだろうとは思うのだが。
「もしもこれからの話と似たような状況が将来発生して、で、死体の処理に俺の話が役に立つようなことがあれば、その時は本当に二百万をもらっておくかな」
 金のやり取り方法だけは考えなくてはならない。俺とこいつとの間にそんな接点を作ってしまったら、どんな言い訳も通じないだろう。
 ともあれ、その辺りのことを考えるのは全てが済んでからにしよう。どうやって金の受け渡しをするか。焦って考える必要はない。
 最悪、実際に金が手に入らなくてもかまわないことではあるのだ。肝心なのは、こうして延々と電話されるのが迷惑だという事実なのだから。
「で、具体的にはどんな設定なんだ?」
「設定?」
 ため息をつきたくなる。今の今だというのにもう忘れたというのか。
「だから現場の設定だよ。どこで、どうやって殺したのかって。基本だろ全く」
「あ、ああ。そうか。そうだな。悪かった。ええと」
 そう言って少しばかり黙る。話す順番を考えているようだ。
「……場所は、相手の家だ」
 不意に、声の調子を一段下げ、神妙な雰囲気でそう呟いた。
「相手の家?」
 そのいかにもな言い回しに自分も気圧され、おうむ返しになってしまう。
「ああ。……あの後、お前とのことで愚痴を聞いてもらおうと思って会いに行ったんだが、そいつがお前の肩を持つものだから口論になったんだよ」
 ははあ、なるほどよくもまあ咄嗟に設定が浮かぶものだ、と一瞬思ってしまったのは、やはり頭のどこかでこいつが嘘をついていると思っているからなのだろう。
 だが、それぐらいでちょうど良い。
 何せ今の俺は、こいつの言葉を信じていないことになっているのだから。
「で、そのうちさ、俺も我慢の限界がきちまってさ。台所から包丁を持ち出して、その……刺しちまったんだよ」
 沈黙から、これ以上話すことはないらしいことが分かる。
 そこで、気になった点を幾つか確認することにした。
「刺したっていうのは……どの辺りを刺したんだ? 腹とか、胸とか。あるだろ」
「ああ、俺が包丁を持ち出したところで部屋の奥に逃げようとしたから……だから、その、背中だ」
「……口論してたそうだが、どれぐらいの声で、どれぐらいの時間話してたんだ?」
「時間は分からないけど、結構長かったな。声はもう、怒鳴り合いだよ」
「……そうか」
 まだ幾つか聞きたいことがあったのだが、もう早々に聞く気をなくしてしまった。
 今の二つの質問だけで、状況が最悪だということがはっきりと分かった。
 それほどの大声で長時間口論をしていたのなら、隣室なり廊下の通りすがりなり、誰かしらに間違いなくその声は聞かれているだろう。
 加えて刺した場所が背中ときては、工作のしようが難しい。事故や自殺に見せかけるのは不可能だし、逃げる相手を殺したわけだから、殺意を否認して情状酌量を狙うことも難しい。
 もっとも、その辺りは実際に捕まった際に悩むべきことかもしれない。
 現段階で、こいつに疑いの目が向かないように仕向けることができれば杞憂で終わらせられることでもある。
 そう。今考えるべきなのは、こいつが警察に捕まらないためにはどうすれば良いか、ということだ。
 やりようは、三種類あるだろう。
 一つ目は、死体そのものの存在をなかったことにする方法だ。死体を処理し、現場を綺麗に整え、例えば行方不明などを装うという方法だ。
 しかし、この方法は状況にはそぐわないだろう。死の直前まで口論をしていたことで、被害者、加害者共にその存在は周りの住民たちから注目されていた筈だ。
 故に、このような状況では上手く行方不明を装えたところで、こいつに対する疑いの目が逸れるとは考えにくい。
 二つ目は、事故や自殺を装うことだ。
 が、これもさっき考えた通り、背中を刺されているという事実から、偽装することは難しい。
 下手な推理小説よろしく、背中を刺して死ぬような方法で自殺した。なんて方法もその気になれば考えられる。しかし、そんなことよりも、わざわざそうした理由を考える方が大変だ。
 となると、消去法で、三つ目の方法しか選べない。
 三つ目。つまり、別の犯人を用意する、という方法だ。
 これだって確実な方法ではない。かなり際どいだろうし、実際うまくできるかどうかの保証もありはしない。しかし、少なくとも他の二つよりは遥かに成功率が高い筈だ。
「な、なあ、どうしたんだよ」
 俺が考え、押し黙っている様子に不安を覚えたらしく、弱々しい声が電話越しに聞こえて来た。
「ああ、すまん。色々と考えていた。それじゃあ、改めて幾つか質問するから、答えてくれ。良いな」
「あ、ああ」
 と言っても、何を質問すべきなのか。そこから考えなくてはならない。
 自分も現場にいれば、その状況から色々と考えることもできるのだろうが、何せ今は電話越しでの状況確認しかできない。目に入った情報から何かを考えることが一切できないのだ。
 むしろ、どの情報を耳に入れなければならないのか、ということを考えなくてはならない。
 推理小説よろしく、安楽椅子探偵であればそこは慣れたものなのだろうが、素人の自分がそれを行うとなると途方に暮れたくなる。
「どうした」
 俺が悩み黙ってしまったため、不安そうに尋ねてくる。
「ああ、いや。ちょっと待ってくれ」
 そうして、もう少しばかり悩んだが、結局、聞くべきことが浮かばず、俺は、とりあえずの質問をした。
「ええと、凶器はその、殺した奴の家にあった包丁なんだよな。話を聞く限りだと、それは、素手で握ったってことで良いか」
 繰り返しになるが、意味があっての質問ではない。ただ、凶器に残る指紋といえば、犯人探しの最も基本的な部分だと思ったため、深く考えずに尋ねてみたのだ。
「あ、そうか。指紋か……。拭いた方が良いよな」
 電話向こうでガタッと音が立つ。
「いや、待て待て」
 それを聞いて俺は、慌てて止めた。
「普段使いの包丁なら、指紋が付いていない方がおかしいだろ。お前の指紋については、持ち込みの食い物なんかを切らせてもらったと言えば道理が付くんだから、とりあえずは慌てるな」
「ああ、そうか。すまん」
 やはり迂闊な質問はしない方がよさそうだ。
 今は止めることができたが、こちらの質問から下手なことを思い付かれて勝手な行動を取られてしまってはたまったものではない。
 むろん、それで困るのはこいつ自身なわけだから、俺には関係のないことなのだとは思うが、だからと言って乗りかかったからには放りだすつもりにもなれない。
 ともかく、きちんと方向性を定めてから質問をしなければならない。よし、改めて、順番に考えよう。
「少し考えたいことがある。しばらく黙るが待ってろ」
 そんな俺の言葉に不安を覚えたようだったが、反論は許さなかった。
「とにかく待て」
 何か言いたげな様子を、そう言って遮り、俺は思考に入った。
 方向性を定めてから、的確な質問をしなくてはならない。……そうだ。さっき自分でも考えたことじゃないか。今、やるべきことは「どうやって別人の犯行に見せかけるか」だ。
 ならば、そのために必要なものは何だろうか。
 「犯人」「動機」「凶器」の三つだ。
 誰が、なぜ、どうやって殺したのか。
 誰が。
 誰の犯行にすべきだろうか。誰か被害者の知人にでも押し付けるか。
 ……いや、その場合、押し付けた相手が犯人である証拠をねつ造しなくてはならない。不可能ではないかもしれないが、かなり難しい行為であることに違いはない。こんな行き当たりばったりな状況でやるべきことではないだろう。
 ならば、犯人は通り魔的な存在にすべきだろう。誰かは分からないが、何らかの動機……そうだな、物盗りの最中見つかったりして……で、咄嗟にその場にあった包丁で刺した。
 ふむ。悪くない気がする。
 ……いや、待て。見つかったからと言って、いきなり刺すものだろうか。そうだとしても、わざわざ相手の家の台所から凶器を持ち出したりはしないだろう。
 そんな、咄嗟の行動で相手を殺すなら、自分の手持ちの道具を使う方が流れとしてはしっくりくる。
 となると、物盗りの犯行に見せかけるには、凶器の存在が不自然になる。
 犯人は、そいつを襲うのに自分が持っていた包丁を使い、そしてそのまま持ち帰った。
 こういう筋書きでなくてはならない。
 だが、これだとやはり問題が残る。
「な、なあ。いつまで待てばいいんだよ、おい」
 それほど待たせたつもりもないのだが、やはり現場にいると焦りが影響してくるのだろうか。我慢の限界らしく、問いかけてきた。
「ああ、待て待て。今シナリオを考えてるんだ」
「シナリオ?」
「ええと、つまりだな。泥棒がその部屋に入って、物色している最中にそこの家主が帰ってきて、玄関先で言い争いになった末、泥棒が自分の持っていた包丁で刺して逃げた。っていう、そんな方向で工作できないかと思ってな」
「ははぁ、なるほど。やっぱ凄いな、お前」
 不意に言葉の具合が明るみを帯びてきた。この程度の状態でそんな反応をされると、正直、何とも言えない微妙な気分になる。
「ただ、一つ問題がある。そういう立場の泥棒からすれば、証拠品になる包丁を置いて逃げることはまずありえないだろう。だが、その事情に合わせて、包丁をお前が持って行ってしまうと、今度は、その部屋に包丁が無くなっちまう。台所に包丁がない家、なんてどう考えても不自然だろ」
 包丁自体は大小サイズ違いで二、三本は置いているだろうが、同じようなサイズの包丁を複数持ってるかとなると、少し厳しいかもしれない。
 それでも、念のため、その点を確認してみる。
「その部屋に、凶器の包丁と同じくらいの大きさの包丁は置いてないか? あれば簡単なんだが」
 それを聞いて、電話の向こうでガサゴソと音を立てる。台所を物色しているのだろう。
 大声での口論なんてことまでしていて、周りの部屋から意識されているかもしれないこの状況で、不用意に物音を立てる大雑把さに正直苛立ちを覚える。
 やがて、調べ終わったらしく、弱々しい声で返事が返ってきた。
「駄目だ。見当たらない。なんか良く分からないが、刺すのに使った普通の包丁と、あとは果物ナイフが一本あるだけだ」
 普通の包丁、という表現にため息をつきたくなる。ただでさえ電話越しで正確な状況が把握できていないというのに、「普通」なんていう漠然とした言い方をされるのは本当に困る。菜切り包丁だとか出刃包丁だとか、正式な名前で言う必要はないが、せめて何センチくらいの、とか、どんな形の、とか、こちらがイメージできるような言い方をしてもらいたいものだ。
 まあ、幸いと言うか何と言うか。今のところ包丁の形や種類なんてのは刺して重要じゃあないから、下手に言及をして話を長くするのは避けておこう。
 問題なのは、そう、話を聞く限り、その包丁を持ち去ることができないという点だ。
 どうしたものか、と考え、何気なく自室をぐるりと見渡した時に、ふと、自分の台所に置いてある道具を思い出した。
「……砥石」
「あ?」
「ああ、いや、忘れてくれ」
 俺は普段、包丁の切れ味が悪くなると、自分で研いでいる。
 もしそれがあれば、と一瞬思ったが、そう都合よく置いてある筈もないだろう。
 ……いや、決めつけるのは駄目か。念のため、確認して見よう。
「うちにも置いてるからもしかしたらと思ったんだけどな。そこに、砥石は置いてないか」
「砥石ぃ?」
 声は随分と素っ頓狂な響きだった。
 しかし。
「ええと……ああ、あるある。あるけどどうした?」
 期待していなかった結果に、驚きを隠せない。これは幸運だ。
 早速、畳みかけるように質問を続ける。
「となると……お前、包丁は研げるか?」
「ああ? あまり得意じゃないけど……。まあ、研ぎ方ぐらいは分かるぞ」
「ならあとは時間か……。その部屋、何時間ぐらい居られる?」
「ああ? そんなの分かんねぇよ」
 少しは考えろ、と悪態をつきたくなる。が、やはり面倒を避けるためにもここは我慢だ。
「例えば、同居人が居て、いつ帰ってくるか分からない、とか。俺みたいに一人暮らしで朝まで居ても全然大丈夫とか。それぐらい分かるだろ」
「ああ、その程度なら、まあ。一人暮らしだよ。だからさっきの口論を気にした周りの部屋の人たちに通報されなかったら大丈夫だと思う」
「それは心配ないだろう。絶対とは言い切れないが、今どき、そんな他人の口喧嘩を気にしてわざわざ通報する奴も居ないさ。それが延々続いているならまだしも、今はもうぱったり止まってるわけだからな。少なくとも、これだけの時間が経っても警察が来てないのだから、誰も通報はしてないだろう」
 少しばかり楽観的過ぎる気もするが、臆病になっても仕方がない。現状、ただでさえ不安定な要素が多いのだから、ある程度は博打めいた進め方も必要だろう。
「よし、それなら、だ。その、相手を刺した包丁を研ぐんだ」
「はあ、なんでだよ」
「傷口の形から凶器が何かってのは分かるんだよ。だから、包丁の方の形を変えちまうんだ。もちろん、五分や十分研いだぐらいじゃあ駄目だ。元の形から一回りか二回りは小さくなるまで。かなり時間はかかるだろうけど、そうすれば、その包丁を現場の台所に置いていっても、凶器と形が一致しないってことで、犯人が持ち去ったと警察が判断してくれる筈だ」
「はあ、なるほど。じゃあさっそく」
「ああ、待て。そこからは時間がかかるだろうから、あとは、その後にやるべきことだけ教えておいてやる。
 包丁を研ぎ終わったら、今度は、なるだけ物音を立てずに、そして、指紋が付かないように適当に工夫して、全てのタンスや押し入れ、収納の類を開け放すんだ。そして、出来れば財布を見つけ出して、その中身だけを取り出して自分の財布に移せ。それで金目当ての泥棒を演出する。金に直接名前が書いてあるとかでなければ、お前の財布にいくら金が入っていても誰も不審に思わないしな。
 全てが終わって、そうだな……昼間、十一時ぐらいが良いかな。それまでできるだけ物音を立てずにその部屋で過ごせ。で、警察に電話だ。会う約束をしていたが、待ち合わせ場所に来なかったので直接家を尋ねたら死んでいた。こんな感じの理由で警察を呼ぶんだ。念のため、通話記録を確認された時のために、約束は、飲み屋とか――まあ、そいつと会えそうな場所を適当にでっちあげろ。で、そこでの口約束だった、って言えば大丈夫だろう。
 それから、あれだ。もしかしたら周りの住民で、お前を目撃した奴がいるかもしれない。だが、それを気にして、後々、人相を変えるような――例えば髪を染めるとか、今着ている服を捨てるような不審な真似はするなよ。そういうことをすれば、逆に疑われるからな。
 ああ、服と言えば肝心なことを忘れてた。返り血は浴びてないか? もし浴びてたら、警察を呼ぶ直前にその殺した奴を抱きあげろ。倒れていたので慌てて近寄り抱きあげた、とかそんなことを理由にして元の血を隠しちまえばいい。そうしたら、あとは出来るだけ自然に、変に演技めいたことや、余計な証言をしようと考えずに、警察の言うことに従っていればいい」
 と、思う、と言うのはこらえた。自分なりに、警察の目をくらますためのアイディアとしてはそれなりのものになったと思うが、それでも素人考えのその場しのぎだ。どの程度まで警察を騙せるかは全く分からない。
 それでも、こいつが自分でどうにかするよりは遥かにマシだろうとは思う。
 ともかく、これで俺のやるべきことは終わった。あとは、ほとぼりの冷めたころに結果を確認して、(本当にもらえるのであれば)謝礼を頂くだけだ。
「すごいな、お前のおかげで本当に何とかなりそうだ、あ、ありがとう」
 そんな電話越しの声を聞いて、
「ああ、じゃあな」
 と適当に相槌を打って電話を切った。用事が済んでしまえば、無駄に電話をしない方が良い。あっちもそんな場合ではないだろうからな。
 しかし、なんだかんだ、頭を使ったせいか随分と疲れてしまった。一区切りついたという安堵からか、どっと疲れが沸いてしまった。
 今日のところはもうこのまま寝てしまおう。電気も付けっぱなしだが、消すのも面倒くさい。
 ああ、とはいえ、やはりこうして落ち着いて考えると、あんな奴のために尽力した自分のお人よし加減に苛々してくる。
 あいつも、あれだけの啖呵を切っておいて、本当によくもまあ俺に電話をしてこれたもんだ。
 ベッドで横になり、うとうととしている間、そういった不快な感情ばかりが頭の中をめぐり続けた。



 不意に、チャイムの音で目を覚ます。
 もう朝なのかと壁掛け時計を見て時間を確認するが、驚いたことに、さっき、あいつとの電話が終わってから一時間と経っていない。むろん、まだ真夜中だ。
 こんな時間に誰が、と思いながら玄関に近付き、ドアスコープから外の様子をうかがう。
「ああ?」
 と間抜けな声を上げたのも無理はない。今頃、証拠隠滅の工作をしてなきゃいけない筈のあいつだ。
 一体何をしに来たというのか。まさか、予想外のトラブルがあったため、自分ではなんともならないから改めて相談に来た、とかだろうか。
 それにしたって、電話でなく、直接会いに来るとはどういうことだ。……いや、それとも電話したんだろうか。俺が疲れて寝ていたせいで電話に出られず、仕方なく直接来たとか。そういえば、携帯の着信はどうなっていただろう。
 だとしても、だ。直接会いに来ることがどれだけ危険か分からない筈がないだろう。そこまでこいつは考え無しなのか。
 ともかく、このまま部屋の前で突っ立たせるわけにはいかない。この状況を誰かに目撃されたら、もう致命的としか言いようがない。
「何しに来たんだ。とりあえずさっさと入れ」
 扉を開け、苛立ちを隠さずに言葉を投げかける。
「あ、ああ、すまん」
「鍵は掛けろよ」
 背中を向け、奥へと戻りながらぶっきらぼうに言う。
 返事はなかったが、鍵を掛ける固い金属音が確かに聞こえた。
 そして直後に、何か開き戸を開け閉めする音と、金属の滑るような音が。
「おい、何してんだよ」
 と振り向いたところで絶句した。
 手には、俺がキッチンに締まっておいた筈の包丁が握られている。
「……おい、何してんだよ」
 全く同じ言葉を、全く違う意味で投げかける。
 返事はない。
 咄嗟に背を向け、部屋の奥を目指す。
 走り、叫ぼうとするが、一瞬遅かった。
 背中に冷たい金属の感触が突き刺さり、直後にどうしようもなく熱い、どろりとした感触が背中から飛び出した。
 ああ、そうか。そうだったのか。
 そりゃあ、相手は確かに一人暮らしで、砥石が置いてある訳だ。
 いくら考える頭がないとはいえ、まさか、今から殺す相手に証拠隠滅の手ほどきを受けようとは。
 こんなにも図々しい頼み事、想像もつかなかったよ。

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