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喫茶ま・ろんど

TSFというやや特殊なジャンルのお話を書くのを主目的としたブログです。18禁ですのでご注意を。物語は全てフィクションですが、ノンフィクションだったら良いなぁと常に考えております。転載その他の二次利用を希望する方は、メールにてご相談ください。

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或る殺人者の告白

「人を殺しました」
 男の唐突な告白はいかにも信じられなかった。
 白髪交じりのざんぎり頭と、目尻の皺が初老の雰囲気を思わせる。背の程は随分と小柄で、決して背の高くない私を持ってして見下ろすような形になっている。もしかしたら百五十もないかもしれない。身なりには全く関心がないのだろう。まともに洗っているのか、襟首当たりに汗じみの見える白いワイシャツと、膝の部分が擦れているチノパンが男の性格を現していた。
 告白が信じられなかった理由は、その服装によるものではない。大きく見開かれているくせに、右と左で違うものを見ているような、あるいは何も見ていないような虚ろにいかれた眼差しが訝しさを伝えていたのだ。
 確かに今はさして忙しくはない。緊急の用件であれば充分に腰を据えて話を聞いてやることはできる。いや、例え忙しかろうとも警察官という我が身を考えれば、緊急の際は耳を傾ける義務があるのは間違いがない。
 つまり、そういうことだ。何度も繰り返すが、その男の告白には、とうてい緊急に感じ取ることのできない嘘臭さが滲んでいたということだ。
 かと言って「嘘を吐くな、帰れ」と追い返すわけにはいかない。何より内容が相当に物騒でもある。九割九分嘘だと分かっていても耳を傾けないわけにはいかないのだ。
「ふむ。詳しくはこちらで聞きましょうか。そちらのソファに座って待っていてもらえますか。今調書を用意しますから」
 来客用のソファに促す。だいぶん古くなっており、濃いブラウンの合皮は端々にひびが入り、剥がれている。その前に置かれている木製テーブルも、どれだけ磨いても落ちない染みの諸々や、何か固いものを落としたのであろう無数の傷やへこみが散見される。ここに招かれれば、大抵の客は顔をしかめて嫌がらせかと誤解を覚える。だが、それでもそのソファとテーブルは、この署内では署長の席に次いで二番目に上等な品なのだ。
 男は、
「これはこれは、随分と上等な」
 と言った。
 署の貧しさを把握した上で、ここではこれで充分上等なのだと把握した上で言ったわけではない。直後に続いた言葉でそれは把握できた。
「こういうときは取調室に連れられるものかと思ってましたが、ソファとはなんともまるで客のような扱いですな」
 首をかしげ、口元をすぼめる様子は、まるで小馬鹿にしているように見える。する人がすれば、滑稽で愛らしい動作になるのかもしれないが、しかし不自然なほどほとんどまばたきをせずにギョロリと目玉を引ん剝いているため、不気味という表現の方が相応しく感じられた。
「まあ、その、それはね。実際に話を聞いて、こちらも色々と確信が出てからの話ですから」
 男の方には目を向けず、引き出しから調書を取り出し、年季の入った黒いバインダーに挟み込む。
「随分と緩いものですなあ。そんな事をしていて犯人である私に逃げられたらどうするのですか」
 招かれた先のソファには座らず、立ったままこっちに文句を言っているらしい。
 らしい、というのは、どうにも男と視線を合わせる気分になれないからだ。少し気持ちを整えなくては、爬虫類を思わせるその瞳に気圧されてしまいそうなのだ。
 ただ、男の声の位置と、ソファに腰掛ける際に必ず鳴る革の擦れるギュウという音が聞こえなかったことから推察した。
「ははは、だってあなたは自首してきたのでしょう。なんで逃げる理由があるのですか」
 ボールペンを一本ペン立てから抜き取り、乱雑に束ねられていたメモ紙にペン先を走らせ無数の丸を描く。インクの質が良くないのか、二つめくらいまでは色が出なかったが、三つ目の途中からは問題無く機能を果たし、無事丸を描きだした。
「なるほど、それは言われてみればもっともなことだ。失礼、失礼」
 ギュウ、と音がした。足音がしなかったのは、音の出ない安靴を履いているからか、それとも革靴であるのに音の出ない歩き方をしているのか。
 なんとなくだが、後者でないことを願う。
「さ、お待たせしました。それでは話を伺いましょう」
 足早にソファへと向かい、男の足だけを見て、手前側に座っているのを確認し、対面へと座る。
 数秒の間を置いて、意を決したように男へと目を向けた。
 間近で見ると、その不気味さは一層とてつもないことになっていた。
 目の端にはひどくヤニが溜まっているし、口元から僅かに見える歯は、煙草を相当吸っているのだろう、肺がんを心配したくなるほどに真っ黒であった。
 更に手元を見ると、何で傷つけたのか、甲に爪を立てて掻き毟ったような傷が無造作に走っている。傷そのものよりも、それ程の傷であるのに薬を塗った風もなく、絆創膏も包帯も巻かずに放置しているという事実が、とみに不安を駆り立てた。
「さて、それで、ええと、何を話せばいいんでしょうか」
「まず、確認したいのですが、人を、殺した、と。そう言いましたか」
 バインダーを机に置いてボールペンを構える。直接机の上に置かずにバインダーを利用するのは、経年のへこみや傷が、正しくペンを走らせてくれないためだ。
「ええ。その通りです。私はね、殺してしまったのですよ。まだまだ未来のあろう女性を。いや、あれを果たして未来のあると言っていいのかどうか」
 真偽のほどは今は忘れる。真実であることを前提とすれば重要な情報である。
 被害者は女性、らしい。居るとしたら。それも話によると恐らく若い。そして何か特殊な立場にあるらしい。
「ふむ、それで」
「それで、と言いますと?」
 男が首をかしげる。本当に分からないのか、からかっているのか。口調からも表情からも全く読み取ることは出来ない。
「人を殺した、とそれだけでは私らも動きようがないのですよ。まず、誰を殺したというのか。そしてその証拠となるものはあるのか。いつ、どこで、誰を、何故、どうやって、そしてその後、とそういう色々をね、確認する必要があるのですよ」
「はあはあはあはあ、なるほど。いや、取り調べというのは初めて受けましたが、そういうものなんですな」
 感心しているのか、不自然なほどに頭を上下に激しく揺らす。本人の意図がどうであれ、全く馬鹿にされているようにしか思えない。



 さて。
 ここから先は自分を殺人者と称すこの妙な男の独白となる。合間にちょっとした相槌や質問を挟んではいるが、それを省いたところで何の差し支えもない。それほどまでに男は饒舌であった。
 話を聞き終わった時、読者諸兄は果たして彼を信じられるだろうか。それとも到底信じられないだろうか。
 私の結論を言ってしまおう。私は信じなかった。
 このような下らない話を信じていては、警察という仕事は間違いなくやっていられない。それほどまでに下らない、お伽めいた内容であった。
 そして、もう一つ結論を言おう。
 結局、真実かどうかは最後まで分からない。分からなかった。
 ただ、しかし、私の心中には並ならぬ後悔だけが残った。
 さあ、どうか、彼の懺悔と私の過ちに、耳を傾けて頂こう。



 誰を、との話でしたが、これがまた随分と難しい質問でございます。
 何故それが難しいのか。そのために順を追ってお話しましょう。私の仕事についてでございます。え、何が関係あるのかと申しますか。それが関係あるのですよ。まあ、まずは聞いてください。大事なことですから。
 釜内家については御存じでしょうか。と、これはあまりに無礼な質問でございましたね。この町に住んでいて、知らない筈がないでしょうからね。平良木山の中腹に建つあの八百平米を超える豪邸。
 実はあの家だけでなく、平良木山の全てが釜内家の土地であることは御存じでしょうか。いわばあの山はそれそのものが釜内家の庭のようなものでしてね。と、失礼。その話は関係がないのでした。重要なのは塀の内側。趣味の悪いきらきらした金縁の彩られている、時代遅れたしっくい塀の内側で起きたことなのです。
 私はあそこで庭師をやっておりましてね。庭師と言っても庭には色々なものがあります。植木、灯篭、苔石なんてのが主でしょうか。
 私の仕事はどれかと申しますと、言ってしまえば全部でございました。無造作好き勝手に成長する植木の剪定をし、石灯籠が汚れ苔むすのを防ぐため、日々丁寧に磨き上げ、苔石は逆に美しい苔がむすよう常に気を配り。さらには絶えなく生える雑草を抜き、塀の外から伸び込み、離れ小屋の外壁に這い絡まり広がるツタを刈り取ったりと、とにかく庭を美しく維持することに執心いたしました。あれはもう庭師というよりも管理人ですな。事実、庭仕事以外にも、色々な雑用を頼まれておりましたので、庭師、という呼び方はもう本当に便宜的なものに過ぎませんでした。
 ん、ああ、この服装が庭師には到底見えない、と仰いますか。ええ、ええ。全く仰る通りで。しかしね、私もあのような野暮たい作業着でこちらに参るのはいささか失礼かと思いましてね。そこは着替えてまいった次第でございますよ。これでも貴重な一張羅でしてね。
 え、ああ、本題ですか。まあそう焦りませんで。慌てていいことなど何もありませんよ。まあしかし大丈夫。もうすぐでございますよ。
 それでですね、その釜内家なのですが。これも知らない筈がないでしょう。ほんの二週間前ですかね。事業が破綻し倒産してしまったのは。全く諸行無常という奴で。
 それこそ、あの山を家ごと売ってもどうにもならない法外な借金だけが残った始末でした。それでも売らないわけにはいかない。あの家も山も、釜内家の全てが余所に渡ることになった訳です。
 しかしね。一つだけ、売れないものがあったのです。先程私が少し言った離れの小屋を覚えておりますか。ええ、そうそれです。その、放っておくと壁にツタの這ってしまう、敷地の外れに建っている小さな小屋でございますよ。
 木造の、全く味気のない作りでしてね。なんというかこう、ただ木を組んだだけという印象でした。開き戸の上部に明かり取りの格子戸が備わっているだけで、扉には鍵すらかからないものでしたから。もっとも、必要があって南京錠だけは取りつけておりましたがね。
 それでですね、売れなかったものなのですが。実はその小屋のことではないのです。中身なのでございます。
 その小屋に何が入っているのか、それはほとんど一部の者しか知りませんでした。家の主である旦那さまと奥様。六年前に釜内家に来た今は亡き産婆。そして私の四人だけでございました。
 いわば雇われの身である私がなぜ中身を知っていたのか。それは簡単でございます。私がね、その小屋に食事を運ぶ役を任されていたからでございます。あの小屋が建ってからの六年。私が常にその役割を担っていたのでございますよ。
 果たして小屋の中身がなんだかお分かりでしょうか。
 え、もったいぶるなと。や、失敬失敬。つい回りくどい言い方をしてしまいまして。まあ、もう察しておることでしょう。ええ、そう、その想像の通り。人間でございます。そしてこれがようやくお待たせした本題でございます。私が殺したのは、そう、その小屋という見た目には全く分からない檻の中にて飼われていた、哀れな哀れな少女なのでございます。
 その少女が誰なのか、と言われるとこれがまた実に説明が難しいのです。名前は、ゆり、と呼んでいました。妙な言い方になってしまって申し訳ありません。というのは、実は娘には名前がなかったのです。あまりに哀れな少女の身を不憫に思い、決して他の者に知られることないよう、ただ私が個人的にこっそりと、その娘をゆりと呼んでいたのです。
 別に名前に意味はありません。ただ、その娘が産まれた日、私は庭で花開いていた百合の花を手入れしていたことを思い出して、そう呼んだのです。
 誰の子供であるか。これも説明はいらないでしょうな。ええ、そう、その通りです。釜内夫妻でございますよ。
 では何故その愛しかろう娘を檻に押し込むことになったのか。そこなのですがね。まあ、何と言いますか。その、少々言いづらいことではありますが、彼女にはその、先天的にですね、見た目にも分かる不具があったのでございます。こう、左のね、腕なのですが。その肘から先がまるでなかったのですよ。ええ、こう。だいたいこの辺りから先がばっさりと。
 産婆の話によると、あとから掻き出したら――何処の話か、などと野暮なことは聞かないでくださいよ。そこは察してくださいませ。ともかく掻き出しましたら、中から腐った左腕の、その肘から先がコロンと転がり出てきたそうでして。おそらく、何かの拍子に腹の中でへその緒が絡まり締め付けられてしまい、ひじから先に血が通わなかったのだろう、とそう言っておりました。
 本当に哀れなのは胎内にて不運に見舞われたその少女であるのですが、そこに怒りを心頭させたのが旦那様でございました。
 男子でなかっただけでも恥ずべきことであるのに、その子供が不具者であろうとは、と。その意見には奥様も同様のようでした。
 自分の腹を痛めた娘である筈なのに、まるでもう拾ってきた犬か猫の話でもしているといった風に、それはもう坦々と、旦那様と話をしたのです。
 小屋を建てよう、と旦那様は仰いました。あの言葉ははっきりと覚えております。今さっき、犬か猫の話をしているよう、と言いましたが、まさにそれですよ。犬小屋か何かを建てるような言い方で、小屋を建てよう、と旦那様は仰ったのです。
 殺してしまおう、と言わなかったことが、あるいは小さな良心の形であったのかもしれません。
 そうして、世間向きには死産であったこととなり、娘の哀れな人生は幕を開けたわけでございます。つまり、ええ、そうです。そういうことでございます。彼女には戸籍がない。つまり存在しない人間と言って差し支えなかったのですよ。
 その後、本当に上等な犬小屋か物置小屋かという、広さのせいぜい三畳か四畳程度といった、小さな小さな小屋が建てられました。事前に用意されていた哺乳瓶と幾ばくかの粉ミルクを渡されまして、死なないようにしろ、と指示を受けました。
 娘についてですが、まず、覚えは随分と悪かったのですが、それでも少々の言葉は憶えました。と言っても、「ごはん」だとか「さむい」だとかと、たどたどしく単語で話すのが精いっぱいでしたが。
 最初のころは「おい」だの「こら」だのと呼んでいたのですがね。きっかけが何であったかは覚えておりませんが、先程申しました通り、いつのころからか「ゆり」と呼ぶようになりました。
 そして、教えなかったので当然ですが、文字は全く書けませんでした。正直、哀れを思っていました私は、どうにか機会を作って教えてやりたかったのですが、旦那様もそして奥様も決して許してはくれませんでした。むしろ、相談をすることそれ自体が許されませんでしたが。
 そして見た目ですが、これはもう見る影もありませんでした。
 当然でしょうな。髪は伸ばしっぱなし、風呂には入れず私が週に一度体を濡布で擦るのみ。便所なぞこさえておりませんでしたから、糞尿は垂れ流しで、常に酷い臭いに包まれておりました。尻を拭くのもままならんので、肌はかぶれっぱなしでぼろぼろでございました。肌がかゆくて仕方ないのでしょうな。やはり伸ばすに任せた爪で身体中をむしっていたので、尻だけでなく、足の先から顔や髪の中に至るまで、全身が掻き傷で覆われておりました。そして爪も、何かの折に根元から剥がれることが頻繁にあったので、ひどく歪んで波打ったような形に伸びていたり、人差指に至っては、爪そのものが生えなくなっておりました。
 服装に関しても、旦那様が無駄な買い物を決して許してはくれませんでしたので、おむつすら身につけた経験がございません。身につけるものと言って良いのかどうか、ただ、寒さをしのぐための毛布が一枚許されただけでございました。
 食事も最低限にしか許されておらず、朝、前日の残り物を渡されるので、私が持って行ってやるという形を取っておりました。味は酷いものでした。余分な皿を割くのも勿体なかったのでしょう。米も汁も幾つかのおかずも、全て一つの器にまとめて盛られておりました。まるで残飯のよう、とうよりも、残飯そのものでございましたね。冷蔵庫に入れておくような気の付く筈もなく、夏場にはにおいを嗅ぐだけで傷んでいるのが分かりました。
 全く残り物の無い日というのも珍しくはなく、当然その日は食事を用意してやれませんでした。下手に私の食事を分けようなどとすれば、旦那様は鬼の狂ったように怒りましたので、全くそういうこともしてやれませんでした。そのため、ゆりは骨に皮を被せた有様の風貌でございました。
 最初のうちこそは、どうにかなりませんかと旦那様に相談をしていたのですが、申した通り、話題にすること自体が許されませんでしたので、だんだんと私も諦めるようになりました。
 そうしてやがて、改めて夫妻の間に、今度こそ不具のない、しかも男子である坊ちゃまが産まれてからは、もう小屋について話題にすることすら許されなくなりました。
 その頃には件の産婆も往生しておりまして、ゆりの存在に意識を向けるのはいよいよ私一人でございました。
 坊ちゃまが乳を飲まなくなった頃には、以前はあれほど不満を漏らしていたゆりの食費についてとうとう何も言わなくなっておりましたので、本当にもう旦那様も奥様も、全く関心を失っておったのでしょうな。
 それでね、今回の騒ぎでございます。ご存じでしょうが、釜内家では事業として商社めいたことを行っておりました。外国から様々なものを輸入して売る、貿易業というやつですな。特にこれと限定して輸入していたわけではなく、菓子やら家具やら車やら、売れそうなものは何でも仕入れておりました。
 旦那様の才覚もあり、事業は安定しておりました。今回の事件が起こるまでは。
 何であったのか、使用人である私には教えて頂けませんでしたが、社財を投げ打っての大勝負で仕入れた商品だったそうです。それほど、確実にもうかる自信があったそうで。
 その商品が、まさか手元に届くことなく、運搬していた船の沈没という悲劇に見舞われるとは、全く不幸としか言いようがありませんでした。
 あるいは、そこで諦めずに尽力すれば、結果は違ったのかもしれません。しかし、結果は御存じのとおりでございます。
 話を聞いた旦那様は、すぐに懇意の美術商を呼び出しました。そうして、決して実情を悟られぬよう細心の注意を払いながら古美術品を可能な限り売り払ったのでございます。
 私は、てっきりその金は会社のために工面したものだと思い込んでおりました。だから、何の疑問も覚えずに、自宅へと帰ったのでございます。
 しかし翌朝、いつものように釜内家へ行くと、妙なことになっておりました。まず、普段は裏戸を開けるとゆりの食事が無造作に置かれているのですが、それが置かれていなかったのです。そこまででしたら、前日の食事が残らなかったのだろう、とそれで済む話なのです。
 しかし、奥へと声をかけてみると、全く返事がないのです。人の気配も感じません。事業が傾いているため、普段より早く会社へと向かったのかとも思いましたが、それにしては鍵が掛かっていないのが妙です。
 そこでようやく気付きました。旦那様は会社のことを早々に諦め、親子三人で夜逃げする選択肢を選んでいたのでございます。
 ええ。そうです、間違いではありません。確かに三人です。その後小屋へ行くとゆりは、いつもと同じようにそこにおりました。旦那様方にとっては、ゆりの存在はもはや存在していないものでしたから、それが当然ではありましょう。あの家族にとって、ゆりは、家族ではなかったのですよ。
 ゆりは、私が食事を持っていないことを見て、とても悲しい表情をしておりました。朝食を用意できていない、ということは、まると一日何も口にできないのだということを、これまでの経験から知っておりましたからでしょうね。
 しかし、ゆりは知らないわけです。今日どころか明日も明後日ももう食事を用意してやることができないのだとは。
 ゆりは黙って壁に寄りかかり、小さく丸まりました。食事がない日は、いつも決まってそうやって、できるだけ腹をすかさないようにしておりました。
 そうして私は、ゆりから見ればいつもと同じように、黙って小屋を後にして南京錠を掛けたのです。
 しかし私の心の中は、これからどうすべきかという思いばかりが渦巻いておりました。
 そうして、五分か十分程度だったと思います。小屋の前で立ち尽くしていた私の中に、一つの考えが沸き上がったのです。
 それがなんであるかは考えるまでもないでしょう。ええ、そうです。ゆりを殺さねばならない。そう考えたのですよ。
 え、何故だかわからないのですか。それは随分と察しの悪いことですな。まあ良いでしょう。簡単にご説明いたします。
 私は、旦那様に仕えてもう二十年を超えます。このような外見で、頭の程度も常識も体力も人に劣る私を、確かに蔑むような扱いをしながらも雇い続けて下さった恩人なのでございます。ゆりのことに限らず、これまでも多くの理不尽と思えるような命にも従ってきました。その旦那様が、決してゆりのことを知られないようにひたに隠すことを望んでおりました。ですから、私は旦那様の望みを果たすべく、ゆりの殺害をする必要があったのですよ。ゆりが生きていて、それを対外の者に知られては、これまでの六年間が無意味になってしまいますからね。
 おや、ここまで説明しても分からないといった表情ですね。まあ、それならそれで構いませんよ。分かってほしいわけではありません。誰を殺したのか。それはすでに申しました。どうして殺したのか。それもたった今言いました。そして、残っているのは、どうやって殺したか。それだけでございます。ご納得いただけないなら、ご納得いただけないまま、どうぞ続きをお聞きください。
 さて。殺すと決めたまではよいのですが、一つ問題があります。それは死体が残っては意味がないということです。理想を言えば、釜内家にゆりがいたと思わせる証拠の全てを剥ぎ取ってしまいたいところでございます。
 旦那様の望みを果たすべく、私はこの抜けた頭を精一杯に回転させました。まずどうやって殺すべきか。そしてどうやって処分すべきか。ああでもないこうでもないと頭を捻らせ、あなた方そういう方の専門家からすれば稚拙かもしれない、しかし私なりにはこれしかないと思える手順ができあがったのでございます。
 早速、私はそれを実行に移すべく、小屋へと足を向けました。懐から鍵を取り出し南京錠を外します。扉を開けると、そこには驚いた表情を向けるゆりの姿がありました。普段は朝の食事を渡す以外に小屋に行くことはないので、それに戸惑っていたのでしょう。
 ぼろぼろの毛布にくるまりながら怪訝な表情を浮かべるゆりに向かい、私は足早に近づきました。そうして、一瞬、流石に私もためらいが沸きましたが、それでも覚悟を決めてゆりの首元へと手を伸ばしたのです。
 首筋に手が触れた瞬間、ゆりは異常を察して爪を立ててまいりました。ええ、そうです。手の甲にあるこの傷ですよ。今となってはこれだけがゆりがこの世に生きた証でございます。
 抵抗を示したとはいえ、ゆりは子供でございます。ましてやろくに栄養も与えられず、更には片腕。すっかり衰えた私の力に対してでも抵抗の出来る筈がありません。何か喚きたいのかそれとも空気を求めたのか、口をいっぱいに開き、何が何だか分からぬといった視線を私に向け、貧弱に爪を這わせ、足を全力でばたつかせ。そんな様子が、二分は続かなかったと思います。段々とその動きを弱々しいものに変化させ、やがてピクリと動かなくなったのでございます。
 彼女の六年間は、実に二分に満たない私の覚悟によって閉じられたのでございます。
 死んだだろうとは思ったのですが、実際に人を殺した事などありませんので、不安でございました。なので、その後もおそらく三十分以上、私はゆりの首を絞め続けました。万が一に起き上がったら。万が一に叫び出したら。万が一に逃げ出したら。それを思うと、なかなか手を離すことができませんでした。
 ほら、こうして話すと、今も思い出して手が震えてまいります。
 ようやく手を離した私は、ゆりの口元に手を伸ばしました。呼吸はありませんでした。心臓にそっと耳を当てました。全く音の聞こえませんでした。今更、ばかばかしいと思いながらも声を投げかけました。無論、何も返事はありませんでした。
 ああ、上手く殺せた。そう考えた私は、次の段に移ることとしたのです。
 私の庭作業のための用具がまとめられている納屋がございまして。私はそこから、大工道具の一式と、野犬を捉えるための罠を幾つか持ちだしました。
 そうして、邸の外に一旦出まして――ええ、それはもう、ゆりを置いて邸を不在にするのは大きな不安がございました。しかし、来もしないであろう客を恐れる訳にはいきません。私が行おうとしている計画を実行すれば、殆ど確実に見物客が来てしまうのが分かっておりましたから。
 ともかくそうして邸の外に出まして、山中まで足を運んで罠を仕掛けたのでございます。
 さあ、ここからが重労働でございました。邸に戻った私は、一旦ゆりの身体をその傍にあったぼろの毛布にくるんで完全に外からは見えないような形にしたうえで、小屋から出しました。その時にはすっかり冷たくなっておりまして、ああ、やはり死んだのだな、ということが実感できました。
 次は、小屋の存在でございます。なにせ、小屋の中はゆりの生きていた痕跡がありありと残っております。酷い糞尿のにおいと、それによって染みを作っている床。そこらじゅうにある爪の跡と、それを付けたときの剥がれた指先から滲んだ血の跡。数えるのも嫌になるほどの無数の髪の毛。この様子を誰かに見られることがあれば、どうにも言い訳の面倒になることは間違いないでしょう。
 ですからね、私はその小屋をばらばらに解体することに決めたのでございます。小さなものですからね。日が沈む前には何とかなるだろうと思いまして。
 釘を全て抜き取り、大きい板材は鋸で切り刻み、扉についていた南京錠や蝶番など、金属の部品も全て取り除きました。結果としては、やはり慣れない作業であったことも相まって、日が沈んでからさらにかなりの時間がかかってようやく完了させることができました。
 本当であれば朝方仕掛けた野犬用の罠にうまく引っ掛かっているか、見に行きたいところでしたが、日が沈んでしまっては、迂闊に山には入れません。慣れた場所であっても夜の山に入るのは愚かとしか言いようがありませんからね。一秒でも早く事を済ませたい欲求と、遭難の危険との間に挟まれながら、私は小屋の解体で疲れたから今は休むべきだ、と自分に言い訳をすることでぐっと心を抑えました。
 ゆりを置いて家に帰るのは不安がありましたので、母屋から、失礼ながら毛布を一枚借りてまいりまして、ゆりの傍、つまり外ですね。そこで眠りにつきました。冬でなくて良かったと本当に思います。
 朝、目が覚めましたら、私は真っ先にゆりへと視線を向けました。そこにちゃんといる――いや、あるかどうかが心配だったので。まあ、居なくなるはずのない話ですが。
 あとは少しでも早くやるべきことを終わらせるためにと思い、私は玄翁を持って先日仕掛けた罠の様子を見に行きました。五つ仕掛けたうちの三つは餌だけを取られておりましたが、幸い残りの二つには狙い通り野犬が引っ掛かっていてくれました。
 私は身動きの取れなくなっている野犬の頭に狙いを定め、玄翁を振り下ろしました。二匹とも、同じように。そしてやはり二匹とも同じようにギャウン、と鳴きつつ倒れました。
 そうしていよいよ準備ができましたので、私は野犬の死体を持ってゆりの元へと戻ったのです。
 私はまず、ばらばらにした小屋の木材を組み上げ、高さにして腰ほどにも満たない粗末な櫓を作りました。そうしてそこにゆりを乗せたのです。さらにその上にゆりを覆う程度に木材を積み上げ、最後に野犬を置いたのです。
 ええ、そうです。そうして私は、そこに火を付けたのですよ。
 火種が燃え上がり、そうそう消えないだろうという程度まで燃え上がったのを確認すると、私は風呂場の裏手に回りまして、風呂用の薪を運び出しました。あの程度の木材では綺麗に燃やしきれないだろうことは明らかでしたからね。
 ん、釜内家が五右衛門風呂であるのがそんなにおかしいですか。しかし考えても見て下さい。旦那さまからすれば、いまどきの風呂でも昔ながらの五右衛門風呂でも手間は変わらないのです。ただ、私に「おい、風呂だ」と言えば済むのですから。
 そうしてまあ、ともかく、十分だろう量の薪を運んだ私は、これでしばらくはやることも無かろうと思いました。
 私は母屋の裏口へと向かいまして、恐らくもう無駄になるだけであったろうハムと卵とを冷蔵庫より拝借して簡単に調理すると、久方ぶりの食事にありつきました。
 食い終わりましたら、ゆりの元へと戻り、火の小さくならないように薪をくべながら見張りました。そうこうしているうちに、想像通り、立ち上る煙に不信を感じた麓住まいの人が何人か訪ねて参ったのです。
 私は、事前に決めていた通り「最近野犬が出ていて危ないので捕まえて処分するように、と旦那様に頼まれた。それを処分している最中なのです」と言って燃え上がる櫓を見せました。正直、ゆりのあるその櫓に視線を向けさせるのは相当の恐怖が伴いましたが、ひたに隠すこともまた不自然でございます。
 幸い私の想定した通り、外からは野犬しか見えない状態でしたので、誰一人としてそれを疑うことはありませんでした。野犬を燃やしていると言って、実際に燃えているのが見える以上、その下に別のものがいるとは誰も想像しないでしょうからね。
 まじまじと見られては、何がしかに気付かれる可能性もありましたが、まあ、そこはそれですよ。ぐちぐちと音を立てながら燃える動物の死体など、好んで見たがる人間はおりませんからね。
 その後も何人か顔を出しましたが、皆同じようにあしらいました。誰かが火事だと早とちりして通報したのでしょう。消防の人間なども来まして、まあある程度の注意を受けはしましたが、そこは釜内家の名前もありまして、納得の上で帰って頂けました。
 そうしてそのまま、火葬場であれば一時間もかからなかっただろうその作業は、またも日が沈むまでかかってようやく骨にまですることができたのでございます。
 こうして考えてみると、火葬場での火力というのは本当に凄まじいものなのですねえ。流石、専門の場所でございます。
 さて。火を消してゆりであったものを引っ張り出しました。実はその時点ではまだ骨に黒い焦げのようなものが幾らか残っていたのですが、もう充分だろうと思いました私は野犬を殺した玄翁でもって、その骨を淡々と砕き始めました。
 と言っても粉々にするほどではありません。ある程度の大きさまで砕きましたらば、私は母屋よりすり鉢とすりこぎとを拝借しまして、それですり潰したのでございます。
 小麦粉とまでは行かずとも、塩の粒よりは細かくなるよう、それは丹念に丹念にすり潰しました。
 正直、腰も痛み、腕も重くなっておりましたが、全てが済むまでもう間もなくだと思っていたため、頑張らずにはおれませんでした。
 やがて、昨日寝た頃よりもさらに何時間か過ぎた頃に、すり鉢の中に小さな白い粉の山ができあがりました。
 腰くらいまでの身長があったはずのゆりが、こうしてすり鉢に収まる量にまでまとまったのでございます。
 あとはもう、するべきことは一つでございました。台所に行きまして、そのすり鉢の中身を排水溝に流したのです。丹念に砕いたおかげで、詰まるそぶりも見せずにゆりは下水管へと流れていきました。
 最後に、すり鉢を丁寧に洗いまして、これで完全にゆりの存在は消えて去ったのでございます。



 目の前の調書には、殆ど何も書かれていない。倒産した釜内家の雇われ人。それより先の話の話は全く記されていない。男の話に気圧されたためではない。荒唐無稽な内容に書くのがばからしくなったのだ。
「つまり君は、戸籍のない人間を殺し、誰にも知られることなく一切の存在をこの世から消し去った、とこう言いたいのだね」
 改めて確認をして心中苦笑いをする。果たして表情に出ていないのか自分でも心配なくらいだ。
「ええ、左様でございます。分かって頂けて何よりです」
 前のめりになりながら答える男の視線はどこを見ているのか、左右の視線が全く違う風に泳いでいる。そんな男がまともであると考えられるわけのない。
「悪いがね、別に信じたわけではないよ。それに君の話には大きな問題がある」
「問題、と言いますと」
 視線が向いた。へらへらと笑っているような口も急に閉じられ、真剣と言えなくもない表情となった。しかしその急に真人間じみた風の様子が、かえって気持ち悪くて仕方ない。
「君はそこまでしてその釜内家に忠誠を誓っていたというのに、何故こうしてペラペラと喋っているのか、ということだよ。全く意味の通じないことだ」
 つい口調が乱暴になる。当初は真偽の分からないということで敬語で接していた筈なのだが、いつの間にか随分と上からの物言いになってしまっている。それだけ、苛立っているということなのだろう。やはりいつの間にか自分でも分からぬうちに組んでいた足も、それを示している。
「ああ、そういえばまだ話しておりませんでしたね。全てが済みましてね、その後母屋の中を歩きましたら、旦那様の書斎でこの手紙を見付けたのですよ」
 男は、懐から上等そうな便箋を一枚取り出すと、折りたたまれたそれを丁寧に広げ、私の方へと差し出した。そこには、書きなぐったような乱暴な文字で、告白が綴られていた。
「離れの小屋に、哀れな少女が幽閉されています。我が家に勤める福坂大五がどこぞより連れ帰り飼っておるのです。福坂は、従者の立場でありながら、主人である私を脅し、もしも誰かに知らせたら殺すと言い放ったのです。恐怖に押し潰され、これまで黙っておりましたが、既に限界です。ここに懺悔し、殺されぬよう身を隠そうと思います」
 福坂大五、というのがつまり、この男の名前なのであろう。
「旦那様は、私に全ての罪をなすりつけ、逃げたのです。しかも、夜逃げにもっともらしい理屈まで付けて」
 唐突に、男は前のめりに突っ伏し、その顔を手で覆った。ううううと呻く。手の隙間からは水が漏っている。泣いているのだ。
「ふむ、それで、つまりどういうことなんだね」
 はた、と泣き止み、男は落ち着きを取り戻した。改めてソファに深く座りなおした。視線はやはり元の通り、どこを向いているのか分からない、ぐるぐるとした様子を復活させていた。
「分からないのですか。逆に不思議でなりませんね。これ以上、どう説明すればよいのか、はて困りました」
 この話が本当であるならば、子細に聞き取らねばならない。しかし、正直それをすることに意味があるとは到底感じられなかった。むしろ妙な質問をすることで目の前のこの男を苛立たせ、それこそ本当に犯罪でも起こされてはたまったものではない。
 下手に隅を突いて刺激をしては何があるか分からないと思い、私はゆっくりと、男を刺激しないように考えを伝えた。
「残念ですが、あなたを捕まえることはできません」
 何故だか分からないといった風に首をかしげる男に、私は面倒を覚えながらも説明を続けることにした。
「殺した、と言っているが、その人間が存在したことを証明する証拠は何もなく、更には死体が完全にこの世から無くなっているじゃあないですか。焼いた、と証言している以上、その場所を調べればその跡はあるかもしれないが、それはあなた自身が野犬を焼くためだ、と周りに吹聴してしまっているでしょう。事実、その話が本当ならば野犬の骨も用意されているのでしょうし。つまりは、あなたがどれだけ人を殺した、と主張したところで、その証拠を確認しようがないのですよ」
 説明が終わると、少しの間を置いて、男はゆっくりと口を開いた。
「それは困ります」
 視線は落ち着きを見せたが、私を見てはいない。私よりも幾らか上、つまりは何もない中空の先、天井に向かって伸びている。
「私は罪を犯しました。旦那様のために一生隠し通そうという考えがありましたが、裏切られた今となってはそのつもりは欠片もありません。だから私は犯した罪の裁きを受けなくてはならないのです。私の話は全て本当なのです。だからどうぞ私を人殺しとして裁いて頂きたいのです」
 男はテーブルを乗り越え、私に追いすがり、どうか、どうか、と喚きだした。突然のことに反応の遅れた私は、立ち上がりはしたものの逃げるにはかなわなかった。
 男の体重にバランスを崩し、ソファの後ろにひっくり返ると、異常を察した回りの人間が集まり男を引き剥がしてくれた。それでも男は諦めきれないのか、どうか、どうか、と喚き続けた。
 どうすることもできない。証拠がない以上はどうしようもないのだ。今の話だけを元に、釜内家の捜査をするほど暇な職場でもない。
 やがて、落ち着きを取り戻した男は、
「仕方がない。お時間を取らせました」
 と言うと、驚くほどあっさりと、署を去っていった。
「なんだったんでしょうね」
「たまにいるんだよ。警察をからかうためだったり、本当の異常者だったり」
 去った後、居合わせた人同士で、そんな会話をした。



 さて。
 読者諸兄はどう思うだろうか。彼、福坂大五と思しき男の話が本当であるか、出鱈目であるか。
 先述したとおり、私は出鱈目であると判断した。しかし、どちらであっても実はどうでもいいことなのだ。肝心なのは、その後のことだ。私が深く後悔したその内容。それこそが、肝心な、動かし難い事実なのだ。
 男はそれから僅か二時間の後、再び訪れた。先と変わらぬ、薄汚れた白シャツとチノパン姿で、やはり虚ろなギョロリとした瞳も変わらずに。
 そうして、今も耳の奥から離れない、あの一言を、私に向かって言い放ったのだ。

「今度は、ちゃんと証拠を残してきましたよ」
 さあ、と言って両手を揃えて突き出したその男の、瞳のぐるぐるとめまぐるしく動く様子が、一層気持ち悪くてたまらなかった。

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